恋は雨上がりのように 名言、胸に刺さるセリフ【漫画・アニメ・映画】

恋は雨上がりのように 名言

「恋は雨上がりのように」は素晴らしい作品ですね。漫画からアニメ化、そして映画化までされています。

17歳の女子高生が45歳のおじさんに恋をするというトンデモ設定な話題性で目を引いている作品だろうと高を括ってくくっていましたが、読んでみたら、先入観とはまったく違っていて、その内容に引き込まれました。全10巻でしたが、あっという間に読み終えてしまいました。

なぜここまで引き込まれてしまったのか、それは恋愛の話だけではなかったから。妥協をして生きる人生のつまらなさ、みたいなものが作中で描かれていたからです。

今回は、その作中で描かれた胸に刺さるセリフや詩を解説していきます。

以降、若干のネタバレは含みますのでご注意ください。

「恋は雨上がりのように」はどんなストーリー?

才能ある陸上選手だった主人公の”橘あきら”がアキレス腱断裂の怪我で走ることを諦めます。あきらは、突然、夢中になっていることが絶たれてしまう挫折を経験することになります。

あきらは一人、悲しみや虚無感に苛まれているなかで、雨宿りで立ち寄ったファミレスで店長の”近藤正己”と出会います。近藤から「きっと、すぐ やみますよ。」と温かい言葉をかけられて彼女は心を掴まれます。あきらに降る雨に近藤が傘を差すこととなったのです。そして、あきらは近藤に想いを寄せることになります。

おじさんを好きになるのには、雨宿りのタイミングと挫折を抱えた心理状態があったのです。

あきらは近藤のいるファミレスで働き始め、恋心が徐々に強くなっていきます。近藤は青春まっさかりな女子校生のまっすぐな告白に困惑し、受け流そうとします。しかし、若いとは恐ろしいもので、あきらが引くことはありません。

近藤はあきらと過ごす時間のなかで、疎遠になっていた友人”九条ちひろ”が書いた小説と出会います。近藤にも志半ばで諦めていた執筆活動の夢があったのです。近藤はあきらと過ごす時間のなかで、志していたものを取り戻し、執筆活動を再開し始めます。

近藤やバイト先の友達、学校の親友が自分のやりたいことに向かって前へ進んでいるのを隣で見ていたあきらは自分が諦めてしまっていた陸上への思いを前に進め始めます。

そんなお話です。

 

恋は雨上がりのように 名言 1

「恋は雨上がりのように」には漫画(原作)、アニメ、映画があります。

ハッピーエンドが見たいという方はアニメもしくは映画をオススメします。アニメと映画は二人の結末がボヤっとした形で描かれているので、恋の行方に期待ができます。

一方、漫画では二人の結末が明確な別れとして描かれているため、寂しさが残ります。しかし、二人とも諦めていたことに立ち向かっていくという前向きな結末として描かれます。

作者が伝えたかったのは恋路ではなく、挫折をしても前へ進むということだったのでしょうか。

人生に何か諦めを持っていたり、妥協している人には、特に漫画で読むことをオススメします。漫画で読むとセリフや詩が文章として入ってくるので、非常に頭に残ります。特にメイン人物である近藤やちひろが残す文学に寄せた言葉が、もうとにかく胸に刺さります

ということで、漫画(原作)の「恋は雨上がりのように」から胸に刺さるセリフや詩を書きだしていきたいと思います

胸に刺さるセリフ・詩

作中にでてくる胸に刺さるセリフや詩を5つピックアップしました。

 

いつだってかえりたい。青く跳んだ、あの季節。

いつだってかえりたい。
青く跳んだ、あの季節。
なつかしい、胸の痛み。

いつだってかえりたい
青く跳んだ あの季節。
わかちあった 胸の高鳴り

引用元:漫画「恋は雨上がりのように」第4巻 第31話

第31話で近藤は学生時代の友人のちひろと久し振りの会食しています。そのなかで自分たちの青春時代を振り返っています。帰り際に「大人げない」という近藤に対して、ちひろは「俺たちは大人じゃない、同級生だろ」と言い放ちます。ちひろが近藤に対して大人になってしまったから夢に向かって進めないというのは違うだろ、そんな風に言っているように受け取れます。

また、この前の第30話であきらが親友のはるかと感情をむき出しにした喧嘩をしています。

誰しも若い青春時代に戻りたいものです。友達と本気で喧嘩できたのも、将来の夢について熱く語り合うことができたのも、あの頃だったからなのかもしれません。しかし、作者はちひろの言葉を通じて、若いから出来たとか、大人になったから出来ないとかは関係ない、自分の心の有り様だと読者に訴えかけてきています。

近藤は夢に向かって進めないのが大人になったせいだと勝手に決めつけて諦めていたことに気が付きます。このあと近藤は執筆活動を再開することになります。

 

かつては自分もそんな世界で生きていたはずなのに。

“許せない気持ち”
“手編みのマフラー”
かつては自分も
そんな世界で
生きていたはずなのに。
今はその純度の高さに、
息すらうまく
できなくなりそうだ。

引用元:漫画「恋は雨上がりのように」第10巻 第78話

あきらは年末のバイトの打ち上げでバイト友達の”西田ユイ”の失恋をバカにされたという許せない気持ちで同僚の”加瀬亮介”にグーパンチをかまします。

そして正月の大雪の日、あきらは近藤に手編みのマフラーをプレゼントします。

近藤はあきらの振り切って日常を生きている様を見てどこか懐かしんでいます。年を重ねたことで、いつの間にか感情や行動の振れ幅が制限されるようになっていたのでしょうね。大人になってしまった近藤にはあきらがキラキラと輝くまぶしい存在に見えるのです

この日が二人が一緒にいる姿が描かれるの最後の日になるとは…

この作者は大人が青春を淡くなつかしく振り返る様を描くのが本当に上手ですね。読んでる側もその純度の高さで息が詰まりそうでしたよ。

 

前に進むしか、ないのだ。

どうしてこんなことに
なってしまったのだろう。
いくら考えあぐねても、
「そうなってしまった」
と言うほか答えはない。
前に進むしか、ないのだ。

引用元:漫画「恋は雨上がりのように」第9巻 第66話

この詩は九条ちひろが書いた小説のなかで出てくる一節です。作中では、あきらのバイト先の友達のユイが失恋するも、美容師になるという夢に向かって前に進む描写のなかで使われます。

どうしてこんなことになってしまったんだろう、と思うことは誰にでもあります。人の心理や物事の難しさ、不条理などの様々な要因が絡み合って、そうなってしまった、という現状が生まれてしまうのです。

その現状に不満があるのなら立ち止まったままではいけません。

解決方法はただ一つ、どんなに小さい一歩だとしても、どんなに遅い一歩だとしても、前に進むしかありません。作者から読者へのメッセージです。

この詩が、後々あきらにも当てはまってきます。第66話時点では、あきらは陸上への思いに気が付きながらも立ち止まったままです。けじめを付けたいのならば、怖くても前に進まなければなりません。前に進む以外ないのです。

 

ただの諦めであったとしたら…

飛び立てなくても…
その地にとどまって
得る幸せもあるかもしれないね。
仲間たちのことも
忘れて…
でも、
そのツバメが
飛び立たなかった理由が
ただの諦めであったとしたら…
きっと毎日、
空を見上げる
ことになる。
ずっと…
永遠に…

引用元:漫画「恋は雨上がりのように」第9巻 第67話

第67話で近藤はあきらに対して、なかなか巣立ち出来なかったツバメの話をしています。このセリフは、あきらの「もしも仲間と一緒に飛び立てなかったら、そのツバメはどうなってしまうんでしょうか…」という問いに対して、近藤が鋭く答えたものになります。

近藤はこのときに諦めていた執筆活動を再開しています。ただの諦めでずっと後悔してきた自分を飛び立たなかったツバメに重ねて、あきらの質問に返答するのです。

この言葉は強烈にあきらに響いているように見えます。あきらの心の中にも諦めてしまっている陸上への思いがあります。

この頃あきらは、やりたいことに向かって前に進んている友達の姿を見て、置いて行かれている感覚を味わっています。そして近藤にも、置いて行かれている寂しさを感じ始めています。

この後、あきらは足の怪我のリハビリを受けることに目を向けはじめます。

 

彼女は 恋をしていた。青い夏の、雨上がりの空に

その地にとどまって
得る幸せも
あったかもしれない。
仲間たちのことも
忘れて…
けれど、
彼女は 恋をしていた。
青い夏の、
雨上がりの空に

引用元:漫画「恋は雨上がりのように」第10巻 最終話

この作品の最後は、この詩で締めくくられています。最終話であきらは陸上で見事に完全復活を果たしています。そして近藤も継続して執筆活動を続けているようです。

この詩は近藤が書いた詩です。近藤があきらとの結末を書いているように思えます。

「その地」というのが近藤のことを表しているのでしょうね。「彼女は 恋をしていた。」と過去形なので、近藤のなかでは終わった恋という解釈です。

近藤目線で見てみると、あきらが近藤に

恋をしている” のが、”雨が降っている空”  = 挫折により立ち止まっていた期間

恋をしていた” のは、”雨上がりの空”  = 挫折から立ち直り、前に進んだ姿

ということなのでしょう。近藤の心中ではあきらとの恋が完全に過去のものになっています。

あきらも大会で走り出す瞬間の恐怖と対峙した際に近藤のことを”あの人”と呼んでいます。あきらの心中でも近藤との恋は過去のものとなっているようです。

「雨上がりの空に」という表現は、近藤が、挫折から立ち直ったあきらの姿を思い浮かべているのでしょうね。実際にあきらは立ち直りました。

2人が会うことはなくなりますが、目標に向かって前に進むという結末でした。

 

まとめ

45歳のおじさんが17歳の女子高生に好きだと言い寄られて、二人がくっつくなんて結末はフィクションとはいえ無理がありますから、これでよかったんじゃないでしょうか。(笑)

挫折を持った者同士が、それを乗り越えていくというストーリーに現実ではありえない恋愛設定が加わることで幅広い読者に読まれ、胸に刺さる作品となったと考察します。

作者は、妥協して生きる人に対するアンチテーゼをこの作品で伝えたかったんでしょうか。いずれにしても、自分の人生を後悔しないように生きて、という作者のメッセージでしょうね。

胸に刺さる素晴らしい作品でした。

 

★映画「恋は雨上がりのように」の主題歌「フロントメモリー」の歌詞もオススメです。
フロントメモリーの歌詞の意味とは?【鈴木瑛美子×亀田誠治】「恋は雨上がりのように」映画主題歌

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